読切り小説 atami story 熱海物語

序章1

前書き

1996年夏、ある東京の大学生が熱海でのサークル合宿中に発見した1本のカセットがこのプロジェクトの始まりとなった。

彼の手に入れた1本のテープの中には、膨大な楽曲の切れ端が収録されていた。どうしても気になった彼は知人にもこのテープを聴かせ、そしてこのテープは多くの業界関係者の手に渡り、レコードメーカーのディレクターO氏の元に行き着いたのであった。

当時から飲み仲間であったサウンドプロデューサーW氏に偶然聴かせたことから事態は急展開を迎えることになった…。
この断片的にメロディーが詰まったカセットにインスパイアされた彼等は、まるでバラバラになった音というパズルを1つづつ丁寧に解き明かすことに日々没頭していったのであった。

そして…その一部が、ここに存在する。

※実名の表記は控えさせて頂きます。

年末年始の忙しさから解放され、たった2日間の正月休みは家から一歩も出ずに昼間っからビールを飲み、酔っぱらったら寝る・・・
という時間を無意味に過ごしたら、もう仕事始めだ。そして新しい年の誓いを立てる間もなく仕事が始まる・・・。
俺は、レコード会社のディレクターである。もうこの仕事を始めて12年経が、毎年こんな感じで新しい年を迎えている。
全てのレコード会社のディレクターの名誉に賭けて断って置くがこんなメリハリのない生活をしているディレクターは俺だけです。
そんな俺にも、仕事始めにいつも思う事が2つある。
1つは今年も初詣に行かなかった事。ここ7~8年初詣には行っていないが、特に大した事もないから
「行かないほうがいいのかな?」
と変なゲン担ぎをしている・・・本当は出不精なだけだが。

2つ目は年賀状である。多分100枚以上あるだろうか・・・毎年沢山の年賀状を仕事始めに見る。俺は、1通もだしていない。
「今年は必ず年内に年賀状を出す」
そう誓い、今年も頂いた年賀状の送り主の住所を見ながらお返事の年賀状を書き始めるのが毎年、習慣になっている。

今年も書きはじめて、半分くらい書き終えた頃送り主の名前が記されれいない汚い茶色の封筒が目に入った。
「年賀」とも書いていない、葉書でなく封筒。
宛先は確かに俺の名前・・・消印は熱海。
ちょっと訝しい気持ちを持ちつつ、いつもの用に鋏など使わずぶっきらぼうに封筒を開けた。
その中には今から20年ほど前のタイプの汚いカセットテープ1本と便箋が入っていた。
「このカセットは俺が中学生くらいに売ってたやつだな」
と大きな声で独り言を言った。
よく見るとカセットのA面と書いてあるラベルの上の方に手書きで「atami」と書かれてある。俺はカセットを机の横にあるラジカセに入れて、同封されている便箋を開いてみた。

突然のお手紙ですみません。私は都内に住む会社員です。
私はこのテープを持っていてはいけない人間です。私には資格がないのです。
このカセットを私は以前から、どうしても資格がある方にお渡ししたかったのですがどうすればいいのか分からず3年以上の月日が経ってしまいましたが、やっとOさんが見つかりました。宜しくお願いします。
これで私の3年以上の苦痛は開放されました。
ところで、Oさんは熱海に行った事はありますか?

正直言って、俺はたじろいだ。奇怪な文章の内容にではない。
俺はこの便箋を見たことがある。俺の名前以外が、一字一句全く同じ便箋を・・・
「初詣に行ってれば良かった。」
今度は押し殺した声で、独り言を呟いた。

今から10年前、俺がアシスタント・ディレクターの頃に厳しく教えを頂いた先輩のディレクターにEさんという人がいた。俺よりも7つ年上のベテラン、そして業界では有名な敏腕ディレクターで、Eさんのアシスタント・ディレクターになるのは非常に名誉な事であった。

しかし、Eさんは業界では有名な鉄腕ディレクターでもあった。
話しかけても話してくれない、黙っていると殴られる・・・。
おどおどしていると灰皿が飛ぶ、堂々としていると蹴られる・・・。
大体、Eさんのアシスタント・ディレクターは長くて3ヶ月、短い人では1日も持たない。

しかし俺は、なんと今日でEさんのアシスタント・ディレクター歴4ヶ月目に突入した。さっき、別の先輩のディレクターのアシスタント・ディレクターと麦茶で密かに乾杯した。
その記念するべき日を迎えて僕なりに気持ちを引き締めて
“いつもの様に緊張しながら”神宮前のスタジオに向かった。

しかし、俺自身が勝手に決めた、記念日は思わぬ方向に進んだ・・・。
その日に限ってEさんは、俺を含めスタジオにいる人が驚く程上機嫌で笑顔を見せたり冗談を言ったりしていた。
もっと驚く事に、Eさんはレコーディングが終わった後、俺を飲みに誘ったのである。

原宿にある、先輩の行きつけの飲み屋は狭い路地の奥にありお正辞にも奇麗とはいえない店構えであった。

店の中はというと10人も入れば満員になる様な広さで、沢山の色褪せたレコードが貼ってあったり、スタンダードのR&Bの音が流れているという所謂「通好み」の店だ。

Eさんは、店長(マスターと言ったほうがしっくりくる)らしき人に軽く手を挙げて挨拶した後、慣れた足取りで一番奥左の小さな窓がある席に向かった。
俺が、入り口で突っ立っているとEさんが笑顔で
「O、早くこっちこい!今日は飲むぞ。」
と大きな声で叫んだ。そして直ぐ様Eさんはもっと大きな声で
「マスター!生ビールを2つ!」
(やっぱり・・・マスターだ。

俺の短い人生経験の中で、確証がある経験が1つだけある。

今まで怒ってくれたり、恐かったりする先輩が急にやさしく接する時・・・
それは、俺を見限った時である。
こんな時は決まって
「O君、君はこの仕事向いてないと思うよ。違う仕事を探した方が君の為だよ・・・」

・・・またか、今回は上手く行くと思ったのにな。

俺のそんな気持ちを他所にEさんは、70年代ロックの話しを熱く延々と話している。
一生懸命作り笑いをし、話を合わせていたが心の中では
「いつになったら本題になるのかな?」
という思いだけが先行して
Eさんの話しは正直、全くと言っていい程頭の中には入っていなかった。
余談だが、黒い赤いバラが印刷されているバーボンのボトルは3本目が空になりそうだ。

Eさんは急に鞄から小さく折った汚い茶色の封筒から便箋を取り出し
「O、これ読んどけ!」
と言って席を立ち、フラフラと千鳥足でトイレの方に向かった。

俺は心配しながら、Eさんの行く方向を目で追った。
トイレに入るのを確認した後、Eさんから視線を外し、その便箋を読み出した。
すぐに読み終えた俺は、Eさんの帰りを暫く待っていた・・・
だけどEさんは、永遠に帰ってくる事はなかった。

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