読切り小説 atami story 熱海物語

第六章2

昨晩は飲み過ぎた・・・頭が痛い。
腹は減っているものの固形物は辛い・・・汁物が助かる。
『んっ?キッチンから匂ってくるこの香りは・・・豚汁だ!』
部屋に充満する、昨晩から煮続けた豚汁の匂いに僕の胃は音を出して反応した。
「U、お早う!豚汁もらっていいか?」
そう言いながらキッチンに向かった僕の視界に、Uの姿は入ってこなかった。
『いつも一番先に寝て、一番先に起きるUにしては珍しい・・・。』
何か胸騒ぎを覚えた僕は、辺りを見回しUの姿を探し始めた。
・・・一通り各部屋の中を探した後、外に出ようと玄関の方向に足を一歩踏み出した時、駐車場に車が入ってくる音が聞こえた。
『なんだ!Uは朝の買い出しに行ってたんだ。心配して損しちゃった』
玄関のドアを勢いよく開けて僕は、小走りでUを迎えに行った。
石の階段を1段抜かしで元気良く駆け寄る僕と対称に、Uは何故か俯きその場に立ち尽くしている。驚かそうと僕は、地面 に寝そべってUの顔を下から覗き込んだ。
「えっ!」
冬の海の様に青ざめているUの顔に反対に僕が驚かされた。
「どうした?具合悪いのか!病院行こう!」
僕は直感的にUの体の異変を感じ取った。
「うん、大丈夫だよ。あの、ちょっと・・・僕、先に東京へに帰ってええかな?」

 Uは部屋に入り仮眠を取った後、1人だけ短い合宿を終えて東京の帰途についた。
合宿中も、そして合宿が終わって東京に帰ってからも、僕はUのアパートに何度か電話をかけたが、応答するのは明るい声の、Uの留守電の応答メッセージだった。
「まあ、夏季休暇だから実家の大阪に帰ってるのかな?」
あまり深く考えてもしょうがない。どうせ後1ヶ月もすれば会えるのだから・・・。

 いつの間にか季節は秋・・・そして僕は今、かなり暇である。卒論は夏季休暇中にほぼ書き終え、就職までのあと約5ヶ月間は定年退職して隠居するまでは決して味わう事が出来ない『自由な時間』を手に入れている・・・まぁ、内定している商社から月に一度呼び出しを喰らうのがたまにキズだが。
「そう言えば、Uは有名なテレビ制作会社に就職が決まっていたっけな。」
Uは3回生の時から、テレビ業界を希望していた。ゼミもマスコミ関係のものを受講しており、かなり勉強していた記憶がある。それ故に内定した時は大喜びで、皆で催したお祝会では、嬉しくて涙を流してたっけ。
「Uは何してんだろう・・・」

 毎月恒例(?)内定した商社の研修を終えて、青山の街を何する訳なく漂っている僕の目の前に、見覚えのある背中が飛び込んで来た。
「あれ!U??、おーいU!!」
Uの名前を叫ぶ僕の声は、真横を通り過ぎる救急車のサイレンに掻き消されてしまった。
人込みの中に何度も消えそうになるUの背中を追い掛けて、僕は混雑する表参道の歩道を早足で進んだ。やっと僕の呼び掛けが聞こえる距離に近付いたと思った瞬間、Uは急に踵を右に返してビルの中に入っていってしまった。そして、そのビルを見上げて僕は呟いた。
「ん?レコード会社?何の為に?」
僕は、Uがそのビルから出てくるのを待つ事にした。久しぶりにサシで飲みたいし、話したい事もあった。
『Uもテレビ制作会社の研修中かな?まあ研修という名目でレコード会社に資料のCDでも取りに行かされたのかな?』
そう思いながら2本目の煙草に火を灯けた時、Uはうなだれながらビルから姿を現した。

久しぶりにUと再会した僕は、原宿の大型ファッションテナントビルに程近い居酒屋に向かった。階段で2階に上りドアを開けると
「いらっしゃーいませ!」
と威勢のよい店員に迎えられた。金曜日の7時って事で店の中は仕事帰りのサラリーマンやOLでごった返しており活気に満ちている。気持ち悪いくらい満面 の笑みを浮かべた店員に明治通りを眼下に見渡せる窓側の席に案内された。そして程なくしてビールの中ジョッキと小鉢が3、4個運ばれてきた。
僕は再会の喜びと、ちょっと恥ずかしい気持ちを含みながらUとジョッキを合わせた。
「僕もスーツ姿で酒飲むとサラリーマンに見えるかな?」
と笑顔で話し掛けたが、Uは全く無反応だった。
「あのさぁ!U。テレビ制作会社も入社式とか・・・」
「誰も相手にしてくれない!こんなに凄いのに!」
僕の質問を遮ったUは、大声叫びながらビールの中ジョッキの底を2、3度テーブルに叩きつけた。その大声と机を叩く音に驚いて、隣のOLが訝し気にこちらを見ている。僕は愛想笑いを浮かべながら周りに何度も会釈しながら場を取り繕うとしている矢先で
「誰も相手にしてくれない・・・相手にしてくれない・・・」
又もUは大声で叫んだ。
「おいU!酔っぱらうには早いぞ!」
「もうレコード会社を8社も回ったのに、門前払いだ」
さっきとうって変わって聞こえるUの声は今まで聞いた事の無い押し殺したドスの効いた声だった。
僕は恐る恐るUに話し掛けた・・・。
「そう言えば、何しにレコード会社なんかに行ってるの?」
その僕の問いかけに無言でUはポケットから何かを取り出して僕の前に置いた。
・・・それは手書きでatamiと書いてある古ぼけたカセット。
「あれ?これって熱海のペンションにあったテープじゃない?持って帰って来ちゃったの?」
「僕には資格が無いんだ・・・資格が・・・」
Uが言っている意味が全く分からず困惑している僕を無視するかの様にUは続けて言った。
「僕、僕・・・このテープを渡さなきゃ。」
「誰に?」
・・・僕は訪ねた。
「資格がある人に・・・探さなきゃ・・・。」
そう言ってUは急に席を立ち居酒屋の入り口に足早に歩きだした。
「おい!待てよ。会計!会計。」
そう叫んで僕は、伝票を持ち急いでレジにて会計を済ませ階段を駆け降りて外に出たが、そこにはもうUの姿は無かった。

・・・そして僕がUの姿を見た最期になった。

SCROLL