読切り小説 atami story 熱海物語

第九章2

『この石段の先に絶対にSさんがいる!』
自分を励ます様に、その言葉を何度も心の中で繰り返しながら早足で石段を登って行く。
何段あるか分からないが凄く長い階段だ・・・普段の運動不足を後悔する。
最後の石段に辿り着いた・・・目の前に夕陽に彩られた海と緑と空が広がる。
訪問者を拒む様に生える木々の間から、話し声と2つの人陰と木々の影が交錯しているのを見つけた僕は即座に確信した。
「あの青い外車の持ち主とSさんに間違い無い!」
これから起こる事など考える余裕の無い僕の脳は、勝手に僕の口を動かせた。
「あのぉ、すみません!石段の下に止まってる青い外車の持ち主の方いらっしゃいますか?」

夕暮れの橙色の太陽に照らされている2人の人物が、僕の声に振り返る。
「えっ!?Oさん!」
さっきまでだらしなく僕の車で寝ていたOさんが、緊張した面持ちで立ちすくんでいる。
そしてその少し奥に、30代後半~40代前半の喪服を着た女性が立っている。
「T君!何でここに!?あぁ~、何んていうタイミングなんだ!」
Oさんの発した言葉の意味が分からず僕は少し首を傾げてみせた後、直に奥に立つ女性に視線を合わせ軽く会釈をした。その僕の行動に促せられる様にOさんは言う。
「あっ!奥さん、さっき俺が言ってた一緒に熱海に来た友人です。」
Oさんは奥さんに僕の事を紹介した後その女性がEさんの奥さんで、ここがEさんの墓である事を教えてくれた。僕は、友人って言葉に少しはにかみながらも今度は深々と奥さんにお辞儀をして言った。
「友人のTです。私もEさんにお線香をあげさせて頂けますか?」
Eさんの奥さんは手に持った紙袋を一旦下に置いて、中に入ってる線香の束から僕の為に3本取り出してくれた。僕はOさんの前を軽く会釈をしながら通り過ぎ、線香を受け取った。
そして、ゆっくりとした足取りで墓石に向かい正面に座わり、消えている右側の蝋燭に自分のライターで灯を着け線香に移した。
『Eさん、初めましてTと申します。Oさんの後輩です。Eさんの事はOさんから沢山聞いてます。安らかにお眠り下さい。』
僕は心の中でそう言うと、ゆっくりと立ち上がり墓前に深々と頭を下げEさんの奥さんに再び挨拶する為に後ろを振り向いた。
「T君。何で、何でここが分かった?どうして!」
その興奮したOさんの声に一寸だじろいた僕は、Eさんの奥さんに挨拶するのを忘れてOさんに俯きながら言った。
「いやぁ、信じてくれないと思いますが僕、見たんです、Sさんを・・・石段の下にある青い外車に乗った所を見たんです。そして、必死に車で追い掛けたらここに辿り着いたって訳なんですが・・・。」
と言い終わりOさんの方を見上げるとOさんは頭を抱えて立ち尽くしていた。
暫く沈黙が続く。聞こえるのは風に揺れる木々の音だけ・・・。

「Sちゃんの事、知ってるの?確かにさっき親水公園でSちゃんを乗せてここまで来たけど。」
沈黙を破ったのはEさんの奥さんだった。
「でも、Sちゃんなら今・・・」
「奥さん!いいです。それ以上は言わなくていいです!」
激しい剣幕でEさんの奥さんの発言をOさんは遮った。
再び沈黙の時間が生まれる・・・。

「すみません、奥さん。興奮してしまって・・・これは俺とTの問題なんで俺から話します。」
何が何だか分からないが、僕がここに来る前にこの2人の間に何かがあった事は大凡理解した。
Oさんはゆっくりと僕の前に歩み寄り、一心不乱な眼差しを僕に与えて言った。
「実は見たんだ俺もSさんを・・・間違い無くBテレビの受付だったSさん、失踪したSさんを!」
・・・えっSさんを、Oさんが見た?何時?何処で?えっ?
「失踪?」
訝し気なトーンを含んだEさんの奥さんの声など今の僕の耳には届かない。
マグマの様に頭の中から溢れ出る思考が間もなく噴火する。
「Sさんは今何処に!何処にいるんですか!教えて下さい!」
噴火した。
さっきのOさんが乗り移ったかの様に僕は激しい剣幕でOさんを問いつめる。
Oさんの目が一瞬澱み、視線を僕から右斜め下へと反らす。その視線の先に見えたもの・・・。
大きな建物の屋根と夕陽で綺麗なグラデーションを魅せる白い壁。
一瞬にして、そう一瞬にして全てを理解した。
あの大きな建物はEさんの元の自宅。
Sさんは今の今まで、ここに居た。
そして、そして!Sさんはあの建物にいる!
僕は一目散に走り出した。
「おぃ待て!待つんだT!」
「Sさんに逢えるんだ!俺が、俺が救うんだ。」
後ろから叫ぶOさんの声を掻き消す、大きくて叫び声に似た声を発しながら脱兎の様に勢い良く僕は石段を駆け降りる。

僕の、この無鉄砲な行動が全ての『atamiの謎』を繋いでいく糸口になっていく・・・。

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