読切り小説 atami story 熱海物語

第一章

あの日、Kさんに会えなかった事、僕の頭の中を混乱させたあの日・・・
日々の仕事に忙殺されているうちに僕の脳の海馬から消えていってしまった。
しかし、不意にその記憶の波が逆流する事になる・・・それも僕の身近で。

入社4年目の宣伝マンにもなると
それなりに大きな仕事にも参加でき自分なりに充実した毎日を送っている。
仕事の充実度と反比例して、生活サイクルは乱れに乱れる事になり深夜まで会社に残って残務処理、気がつけば会社で日の出を見る・・・。

レコード会社の宣伝マンというと世間では「華やかな業界の人間」と見られがちだが僕は普通 のサラリーマンと変わりない生活を送っていると思う。昼は、沢山の資料の入った紙袋を両手に下げ外回りをし、企画の打ち合わせや会議、テレビ局、ラジオ局収録立ち会いなど夜は明日の資料を作ったり交通 費の精算をしたりする。

「・・・もう3時か、ったく誰もいやしない」
僕の叩くキーボードの音だけが虚しくフロアに響く・・・
深夜の方がいろいろとアイデアが生まれるという理由を、自分自身に言い聞かせなければやってられない。仲間と、そしてましてや女の子と夜飲みに行くなんて皆無!修行してるみたいにストイックな生活をしている。
今まで年齢が下の人とのジェネレーションギャップなんて感じた事は今まで無かったが最近痛感する様になったきた。昔は「先輩社員が帰るまで帰れない」といった雰囲気がフロアに漂っていたが、今は「プライベートの充実」なんていいながらさっさと帰宅する新入社員が増えてきた。
「僕が新入社員の頃はなあ…!」
・・・とまた例の口癖が、思わず出てしまった。

明日の企画会議の書類を作りだして早2時間。
書類はたった2枚しか完成していない・・・所謂「煮詰まった」状態である。
熱かったはずの缶入りのお茶がいつのまにか冷めていた。
お茶を口に運ぼうとしていた丁度その時、僕の背後にあるプリンタから数枚の書類が排出される音が聞こえた。
「俺以外、まだ誰かいるのかな?」
このプリンタはネットワークで社内に繋がっている為、宣伝部外の社員もこのプリンタを使って排出する場合も多々ある。でもこれがいい気分転換のきっかけになった。
「すこしブレイクして、後で企画書の続きを書こう!」
さっきより大きな独り言を言った。

気分転換に僕の机の上から、書類やカセットテープや雑誌で擬装(?)された僕のコンピューターを探し出し(?)、僕はネットサーフィンを楽しみだした。
ブックマークに入っている自分の愛車関連のホームページを覗いたり、車好きが集まる掲示 板にカキコしてみたり、ちょっとした楽しい時間を過ごしていた。
「おっ!新しいマフラー出てんじゃん!」
愛車のパーツを扱うSHOPの発注書をプリントアウトしプリンタの側に向かった。
「そう言えば、さっきプリンタに排出された書類、誰も取りにこねぇな・・・」
本当はいけない事だが興味本意で、置いてきぼりにされた書類を手にした。
「まぁ、ここに出しぱなっしにしてて取りにこない奴が悪い」
と自分を正当化しつつ勝手に、身元不明な書類に目を通し始めた。

「何なんだ?企画書か、atami?」
まったくもって意味がよく分らな・・・。
「えっ!?atami・・・?、at….atami!!」
思い出した!思い出した・・・あの厭な1日が蘇ってきた。
「Kさんが僕に残した8mmビデオだ!」
「『atami』って文字が書いてあった!」
「8mmビデオはどこだ!どこ行った?」
・・・記憶の波が急激に僕の脳の中を洗い直して、全ての思考が『atami』にスイッチした。
僕は居ても立ってもいられず、ジャングル化した机から8mmビデオを探し始めた。

・・・しかし容易には発見する事が出来ない。
もう自棄だ!ジャングルに取り残された日本兵を探す時に名前を呼び掛けた様に叫んでみるか!
「atamiどこ行った!!」

いつの間にか時間が経っていた。僕は謂れのない疲れと8mmテープを捜し出せなかった歯痒さから全身に倦怠感が充満していた。

さっき手に取った『atami』の書類をそっとプリンタに戻し、僕は家路に着く事にした。
「始発電車が来るまで、あと5分か・・・」

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