読切り小説 atami story 熱海物語

第八章6

「まてよ!あの姿、見覚えがあるぞ・・・誰?誰だっけ?」
・・・そう僕の好みな感じ、あのSさんに似た背格好。

「まさか!Sさん!?」
全身からじわじわ吹き出す厭な汗がTシャツに染込み、僕の体を2、3度身震いさせた。
「眼鏡は?眼鏡は!」
僕はSさんに似た女性らしき人陰を確実に認識する為に、さっき外した眼鏡を手探りで自分の足下を探し始めた・・・でもSさんと思しき人陰を見失わない様にと僕の視線は足下と遠くを落ち着き無く交互に移している為、一向に見つからない。
手に触れるものを手当たり次第に拾い上げ、眼鏡ではないものは即座に投げ捨てる行為を繰り返している・・・あぁ~イライラする!
「あった!」
僕の指先に感じたモノ・・・紛れも無く僕の眼鏡!ぎこちなく眼鏡を掛けながら勢いよく駆け出した。そして上下に揺れる僕の目に入って来た鮮明な映像・・・。
「やっぱりSさん・・・」
いくら物覚えの悪い僕でも、一度好きになった人をそう簡単に忘れる訳がない。
「Sさん!!Sさん、待って!待って下さい!」
無意識に、そう恥も外聞もなく僕は大きな声を出したが・・・強い海風に空しく掻き消された。
Sさんまで10数メートルにまで近付いた時、何の前触れもなくSさんを覆い隠す1台の青の外車が止まり、ものの数秒で走り去った・・・同時に魔法にかかった様に瞬時にSさんの姿も消え去った。
僕はその謎の青い外車を追跡すべく全速力で、たった今走ってきた道のりを逆戻りして愛車へと駆け出した。そしてSさんを連れ去ったと思われる青い外車を追い掛けるべくタイヤの軋む音を残しながら僕の愛車を急発進させた。
『熱海に来て最初の『atami』の手掛かりを失ってたまるか!』

僕が駐車場を右折して135号に入った時には青い外車は約200~300メートル前方をゆっくりと走っていた。
「追いつける!」
そう判断した僕はギアを一段落として前方を走っている軽自動車に2度パッシングした後、大きな排気音を靡かせながら抜き去り、青い外車の軌跡を忠実になぞる様にジワジワと追い詰めていく。
・・・しかし、後一歩で追いつく!という所で目の前の信号は無情にも赤に変わり、僕は信号が赤に変わるギリギリのタイミングで左折したターゲットを見失った。
「まずい!」
この待ち時間は多分グリニッジでは3分くらいなのだろうが、今の僕には30分くらいに感じる。ステアリングを叩く僕の指は16ビート通 り越して間もなく32ビートに近付いてきている・・・。
「よぉ~し!」
信号が青色に変わった瞬間!愛車はラリーカーの様に急発進しドリフトしながら交差点を曲った。
・・・街中を勢いよく飛ばし、
・・・左手熱海駅を眺め、線路の下の狭いガードをくぐり抜け愛車は北の方に進路を取っている。 狭く曲がりくねった道が続く
・・・中学校の横を通過。
・・・卍が書かれた壁を横目に見つつ、
・・・美術館を通過。

「僕以外の車が全然走ってねぇな」
そう呟きながら少しきついワインディングを幾つか越えていくと、白い建物がポツポツと並ぶペンションが群立しているエリアに入ってきた。 そのペンション群の頂上付近に近付いた時、大きな2階建ての白い外壁が眩しい洋館が目に入ってきた。
「あれ!?もしかするとこの建物って?」

・・・海沿いの自販機の前で大学生が言ってたペンションかもしれない。でもペンションにしては玄関も狭いし誰かの別 荘か、自宅の様な佇まいを見せている。
・・・待てよ!小高い丘に立つ2階立ての白壁の洋館!!って言ったら・・・

「プー!プー!」
よそ見運転をしていた僕は、前から来るタクシーに全く気が付いて居なかった。焦ってハンドルを左に切り、辛うじて衝突を避ける事が出来た。
タクシーの運転手が窓越しに「バカやろう!」と口を動かしている。
『空車か、こんな時期に別荘に来る人も居るんだ。そう言えば何考えてたんだっけ?』
と思いながら、視線を正面に向けた瞬間!
「あっ!あの青い外車だ!見つけた!!」

その洋館の先30メートルも行かない所にターゲットは止まっていた。僕はゆっくりと愛車を走らせ、舐める様にターゲットの車内を見渡した。誰も乗っていない事を確認した僕はターゲットの約5メートル前方に愛車を止めた。
音を立てない様に静かにドアを閉めて2、3度周りを見渡した。すると愛車とターゲットの間に、山の上に向かって続いている人工的で真っ白な石段を見つけた。

「Sさんはこの石段を登って行ったのか?」
僕は躊躇する事なく、その石段の第1段に左足を掛けた。

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